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2011-9-9
以前、SMやアブノーマルは遊びから覚えなさいとか書いてみたが、入口は遊びから覚えても、ずっと遊び感覚で行うことはご法度である。若いころは色々出会いも多くあるが、年を取っていくうちに出逢いも少なく、遊び感覚では続かなくなることがある。また、調教を実際に行ってきた人も、次の出会いがあっても、自身の気持ちをしっかり持たないと続かないこともある。
肉体や精神的を支配し、全てにおいての快楽や喜びを教えていくもの、教えられるものがSMやアブノーマルであり、信用や信頼という絆が強くなるもの。空想の世界では快楽はあっても、絆というものは生まれない。
もちろん、する側、受ける側の気構えというか最初の気持ちが先の絆の第一歩であるが、たとえ、実際の調教を行った、受けたことがあって、何やらの理由で別れたあと、違う嗜好の人と出会い、調教を行っている中で、実際の調教内容を比較対象する人も中にいる。そういった相手にエネルギーを費やすことが無駄である。
理想や以前の調教が良いと思っても、次に異性が表れても、現実は長続きはしない。それは、以前と比較しても同じ人は現れず、内容も外見も全く違うということ。求めているものは調教ではなく、以前の異性そのものであるからということを気が付かなければならない。また、理想というものを持っていても、自分自身が行動を起こさなければ現れはしない。
たとえば痴漢されたいと思っていても、服装などを変えなければ現れない。痴漢は触れやすい、いじりやすい服装が好みである。そういった格好をして初めて自分の理想が達成されるものである。あくまでもたとえ話だが、出逢うまでのシチュレーションを自ら作ることも大事なことである。
2011-9-9
SMやアブノーマルの調教の中に「公開」という言葉がある。同じ嗜好の異性の前で調教過程の成果や変化した肉体を曝け出し、実際に調教を披露する行為。
異性といっても一般の人の前で曝け出す命令などは個々のS男性の嗜好だからそれぞれだが、最初などは、同じ嗜好を持った異性の方がそういった場面を経験されているのでやりやすい。
公開調教といっても、目の前で縛り鞭などといった調教を想像される方もおられるが、別に凝ったことでなくてもよい。たとえば放尿でもけっこう。自分の主とは違う初対面の異性の前で放尿をさせることは調教を受けている女性は、羞恥心が一気に高まり、逃げ出したい気持ちになる。だが、主の命令となら絶対服従を悟ることもさることながら、本来自分の中に眠っているマゾ性が芽生えることもある。
見られたくないという羞恥心と屈辱感の中にいるものだが、その場の雰囲気に飲まれ、いつしか見られても良いと感じ、見てもらいたいという願望を持っているものなら、自然と自分の置かれた立場を感じ取り、放尿と一緒に感じ始めた愛液を流すということもある。
呼び名の響きとしてわざとプレイという言葉を使わず、内容を全て日本語に変えて躾けるということもいつもとは違うという雰囲気を作り出すこともできる。
ただ実際の調教内容は人それぞれであるから、普段の会話から性癖は感じ取られることができるので異性と普段の会話や調教前、調教後の会話が大切である。
2011-9-6
SMやアブノーマル嗜好者などで自殺を行ってしまう人は多いと聞く。
実際、SMやアブノーマルを行っている方なら少しは解るかと思うが、SにしてもMにしても、自分に気持ちを向いて行われることならそれは楽しく、感じてしまうが、孤立感、孤独感、劣等感、悲壮感など悪い要素が徐々に積み重なってしまうことが起きたり、異性(相手)との気持ちの距離が離れてしまうほど抑えきれない気持ちとなり自殺という行為に移る。
これはM女性だからとか全く関係ない。倦怠期などは男女でもあるといわれており、自ら異性との関係を断ち切ると思う人はそういったことにはならないが、関係を断ち切ると全く考えていない場合、積み重なっている悪い要素がいっきに爆発していまう。発信する側と受信する側と意思疎通の情報なら、そういった悪いことにはならないが、調教中など異性との関係の中で、発信する側と受信する側の受け止め方が異なることなどが多々ありえる。
「自分の事を一番理解するものは自分以外はいない」と言われている人もいるが、自分の感情だけをそのまま伝えることを避け、噛み砕いた言葉を相手に発信することや、気持ち(心)の悩みや病気は外見からは判断つかない。だからこそ、相手の事や話を聞いて上げ、少しでも理解してあげることが悪い結果を防げることができる。