葬儀の際し、ご多忙中のところご会葬を賜わり、誠にありがたく厚くお礼申し上げます。
一々拝顔の上ご挨拶申しあぐべきところ、略儀ながら書中をもってご挨拶申し上げます 。

平成24年1月24日

今年もあと一か月ちょっと

久々の更新。。。

夏の終わりに、昔のSM関連から色々な話が来て、調教かと思いきや、デリヘルのサイト作れないか?とのこと。あれって結構内部構造が複雑で、カンタンにってわけにはいかず、色々考えた末、引き受けることに。

秋初旬から色々システムやら外観やら、イラストレーターやらフォトショップやら。。。結構時間も制約があり、仕事が終わると一目散に帰り、毎日家でPCと向かい合っております。毎日、ちょこちょこと捜査してすぐ午前2時すぎになり、そのまま布団に入り。。。これの繰り返しです。

その作業を行っている最中に一般企業からのサイト制作も入ってしまい、休日と毎晩の徹夜でヘトヘト。早く区切りをどこかでつけないと。。。

調教比較対象は次にはつながらない。

以前、SMやアブノーマルは遊びから覚えなさいとか書いてみたが、入口は遊びから覚えても、ずっと遊び感覚で行うことはご法度である。若いころは色々出会いも多くあるが、年を取っていくうちに出逢いも少なく、遊び感覚では続かなくなることがある。また、調教を実際に行ってきた人も、次の出会いがあっても、自身の気持ちをしっかり持たないと続かないこともある。

肉体や精神的を支配し、全てにおいての快楽や喜びを教えていくもの、教えられるものがSMやアブノーマルであり、信用や信頼という絆が強くなるもの。空想の世界では快楽はあっても、絆というものは生まれない。
もちろん、する側、受ける側の気構えというか最初の気持ちが先の絆の第一歩であるが、たとえ、実際の調教を行った、受けたことがあって、何やらの理由で別れたあと、違う嗜好の人と出会い、調教を行っている中で、実際の調教内容を比較対象する人も中にいる。そういった相手にエネルギーを費やすことが無駄である。

理想や以前の調教が良いと思っても、次に異性が表れても、現実は長続きはしない。それは、以前と比較しても同じ人は現れず、内容も外見も全く違うということ。求めているものは調教ではなく、以前の異性そのものであるからということを気が付かなければならない。また、理想というものを持っていても、自分自身が行動を起こさなければ現れはしない。

たとえば痴漢されたいと思っていても、服装などを変えなければ現れない。痴漢は触れやすい、いじりやすい服装が好みである。そういった格好をして初めて自分の理想が達成されるものである。あくまでもたとえ話だが、出逢うまでのシチュレーションを自ら作ることも大事なことである。